Program
1st
Stage
Ich wollt' meine Lieb’ ergösse sich
Herbstlied /Felix Mendelssohn Bartholdy
Madrigal / Gabriel Fauré arr.Ko Matsushita
Ave Maria / Francis Poulenc
Tota pulchra es / Maurice Duruflé
Hymnus / György Orbán
Cantate Domino / Josu Elberdin
Ave Maria / Javier Fajardo
A flower remembered / John Rutter
1st Stage
『6つの二重唱曲』より
1.Ich wollt’ meine Lieb’ ergösse sich(わが願いはこの愛すべてを)
4.Herbstlied(秋の歌)
Felix Mendelssohn (1809~1847)
ドイツの作曲家、メンデルスゾーンはベルリンの裕福なユダヤ系銀行家の家庭で生まれ育った。その豊かな環境を反映して、均整のとれた形式と典雅な旋律による端正な作風をもつ。当時、一般には知られていなかったJ.S.バッハの『マタイ受難曲』を指揮し、バッハの宗教音楽の復興の道を拓いたことでも有名である。
彼が二重唱曲の作曲を始めたのは、1836年、妻のセシルと知り合った直後である。彼女には1つ違いの姉がいて、姉妹のために二重唱曲を書きたいと考え始めたようだ。
「わが願いはこの愛すべてを」は、ハインリヒ・ハイネ(1797~1856)の詩を改変し、原詩の「苦痛」を「愛」に変更し、全体の内容は、愛の苦悩から愛の憧れと大きく変えられ、抒情的な恋愛歌となっている。
「秋の歌」は当初、ピアノ独奏用に作曲されたが、出版のために二重唱に編曲されたと言われている。詩は、メンデルスゾーンの友人で、外交官としてロンドンに駐在していたカール・クリンゲンマン(1798~1862)による。激しく情熱的な旋律が大変魅力的な作品である。
■Ich wollt’ meine Lieb' ergösse
詩:Heinrich Heine
Ich wollt’ meine Lieb' ergösse
Sich all in ein einzig Wort,
Das gäb ich den luft'gen Winden,
Die trügen es lustig fort.
Sie tragen zu dir,Geliebte,
Das lieb-erfüllte Wort;
Du hörst es zu jeder Stunde,
Du hörst es an jedem Ort.
Und hast du zum nächtlichen Schlummer
Geschlossen die Augen kaum,
So wird mein Bild dich verfolgen
Bis in den tiefsten Traum.
わが願いはこの愛すべてを
たったひとつの言葉に注ぎ込むこと
それを軽やかな風に乗せれば
風は喜んで運んでゆくだろう
風は君のところへ運ぶのだ、愛しい人よ
その愛に満ちた言葉を
君はそれをいつでも耳にする
君はそれをどこでも耳にする
そして君は夜のまどろみのときでも
ほとんど目が閉じられなくなる
わたしの姿が君につきまとうのだ
■Herbstlied
詩:Karl Klingemann
Ach,wie so bald verhallet der Reigen,
Wandelt sich Frühling in Winterzeit!
Ach,wie so bald in trauerndes Schweigen
Wandelt sich alle die Fröhlichkeit!
Bald sind die letzten Klänge verflogen!
Bald sind die letzten Sänger gezogen!
Bald ist das letzte Grün dahin!
Alle sie wollen heimwärts zieh'n!
Ach,wie so bald verhallet der Reigen,
Wandelt sich Lust in sehnendes Leid.
Wart ihr ein Traum,ihr Liebesgedanken?
Süß wie der Lenz und schnell verweht?
Eines,nur eines will nimmer wanken:
Es ist das Sehnen,das nimmer vergeht.
Ach,wie so bald verhallet der Reigen!
Ach,wie so bald in trauerndes Schweigen
Wandelt sich alle die Fröhlichkeit!
ああ、なんとすばやく季節は輪を描いて舞い
春が冬のときへと変わってしまうことか
ああ、なんとすばやく悲しみの沈黙へと
すべての幸せは変わってしまうのか
すばやく消えゆくのは最後の響き
すばやく去りゆくのは最後の歌手たち
すばやく過ぎゆくのは最後の緑
すべてのものは帰路を急ぐ
ああ、なんとすばやく季節は輪を描いて舞い
喜びはあこがれる悲しみへと変わってしまうことか
あれは夢だったのだろうか、恋の想いよ
春のように甘く、そしてすぐに消えてゆくとは
ただひとつ、ただひとつだけ消えないもの
それはあこがれ、決して褪せないもの
Madrigal
Gabriel Fauré(1845~1924)
arr.Ko Matsushita
フォーレは近代フランスを代表する作曲家、オルガニストである。教会音楽家を育成するパリの学校で学び、とりわけグレゴリオ聖歌についての研究は、後にフォーレの音楽に格別の影響を与えた。
この曲は混声4部合唱(または4重唱)のために書かれた。グレゴリオ聖歌ミサの旋律が、主要主題を形作っている。詩はフランスの作家、アルマン・シルヴェストルによる世俗詩で、聖歌の旋律に世俗の歌詞をのせることは、中世のパロディ・ミサなどにもみられる手法である。本日は松下耕編曲により女声4部合唱で演奏する。
■Madrigal
詩:シルヴェストル,アルマン
(Paul-Armand Silvestre,1837-1901)
Inhumaines qui,sans merci,
Vous raillez de notre souci,
Aimez ! Aimez quand on vous aime !
Ingrats qui ne vous doutez pas
Des rêves éclos sur vos pas,
Aimez ! Aimez quand on vous aime !
Sachez,ô cruelles Beautés,
Que les jours d'aimer sont comptés.
Aimez ! aimez quand on vous aime !
Sachez,amoureux inconstants,
Que le bien d'aimer n'a qu'un temps.
Aimez ! aimez quand on vous aime !
Un même destin nous poursuit
Et notre folie est la même :
C'est celle d'aimer qui nous fuit,
C'est celle de fuir qui nous aime !
つれない女たちよ 容赦なく
君らはぼくたちの悩みを馬鹿にするけど
愛するんだ 愛するんだよ 君らが愛されてる時に!
ひどい人たち 疑ってないのね
あなたたちの足元にある夢のことを
愛するのよ 愛するのよ あなたたちが愛されてる時に!
知るんだ おおつれない美女たちよ
愛の日々は数えるしかないってことを
愛するんだ 愛するんだよ 君らが愛されてる時に!
知るのよ 移り気な恋する男たち
愛の時は一瞬でしかないってことを
愛するのよ 愛するのよ あなたたちが愛されてる時に!
同じ運命が私たちを追いかける
われらの情熱も同じもの
愛する者たちだ われらから逃げ出すのは
逃げ出す者たちだ われらを愛するのは
オペラ『カルメル会修道女の対話』より
Ave Maria
Francis Poulenc (1899~1963)
プーランクは、フランス・パリの裕福な家庭に生まれる。型にとらわれない、洗練された独自の音楽は、近代フランス音楽に大きな影響を与えた。
『カルメル会修道女の対話』はフランス革命前後のコンピエーニュのカルメル会修道女の処刑を題材とするオペラである。1956年にミラノ・スカラ座で初演され成功をおさめた。稀にみる完全に宗教的なオペラであり、基本的には女声合唱のために書かれている。Ave Mariaは女声三部合唱とピアノ、またはオルガンを伴い、第二幕第二場で歌われる。絹糸のようなしなやかで美しい旋律と神秘的な響きを持った魅力的な作品である。
■Ave Maria
Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum:
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui, Jesus.
Sancta Maria, Mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc et in hora mortis nostrae.
Amen.
アヴェ、マリア、恵みに満みちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。
Tota pulchra es(すべてが美しいお方)
Maurice Duruflé(1902~1986)
フランスのノルマンディー地方に生まれたデュルフレは、傑出したオルガン奏者として活躍し、プーランクのオルガン協奏曲などの初演をつとめ、多くの録音も残している。多忙な演奏活動と交通事故の後遺症により作曲活動が制約され、出版作品はわずか14曲のみ。多くの作品にグレゴリオ聖歌を引用した。
この曲は『グレゴリオ聖歌による4つのモテット』の第2曲にあたり、この作品のみ女声合唱曲となっている。拍子の変化により言葉のリズムを生かした手法と、流麗な音の動きが非常に魅力的な、女声合唱の珠玉の名作である。
■Tota pulchra es
Tota pulchra es, Maria
Et macula originalis non est in te
Vestimentum tuum candidum quasi nix
Et facies tua sicut sol
Tu gloria Jerusalem
Tu laetitia lsrael
Tu honorificentia populi nostri
マリアはすべてが美しい方、
あなたには原罪が無いのですから。
あなたの衣は雪のように白く、
お顔は太陽のよう。
マリアはすべてが美しい方、
あなたには原罪が無いのですから。
あなたはエルサレムの栄光、
あなたはイスラエルのよろこび、
あなたはわれわれ人類のほこりです。
マリアはすべてが美しい方。
HYMNUS (クリスマスの賛歌)
György Orbán(1947-)
オルバーンは、ルーマニアのトランシルヴァニアに生まれた現代ハンガリーを代表する作曲家である。2014年にハンガリーの音楽界で最も権威ある「リスト賞」を受賞。作品はオラトリオや合唱曲が多数を占め、オペラ、交響曲、吹奏楽曲、室内楽など幅広い。
この曲はイエスキリストの生誕を祝う賛歌で、冒頭のピアノが紡ぐ旋律はオルバーンならではの慈愛に満ちている。そのメロディーは作品全体を包み込み、終盤に合唱で歌われるオクターブの旋律は非常に繊細で美しく、思わずため息が出るほどである。
■HYMNUS
Coelo rores pluunt flores
et terras inebriant;
dulce melos implet coelos
angeli conjubilant.
Rident sata, virent prata,
nato regi parvulo;
gaudent montes, saltant fontes,
magno mundi Domino.
Mater plorat, cum adorat
Deum factum hominem,
natus ridet, quando videt
charam matrem virginem.
天の露が花に降り注ぐ
そして、大地はその香りに酔う
甘いメロディーが天を満たし
天使はともに喜びうたう。
草木は微笑み、野原は緑に染まる
新しく生まれた王の子に。
山は喜びにあふれ、泉はほとばしり出る
この世の偉大なる主に。
母は愛しみ涙する
神がその息子を人間にされたことを
嬰児(みどりご)は笑う
優しい処女なる母を見て。
訳:伊藤直美
Cantate Domino (Kanta Jaunari Kantu Berria) 主に向かいて歌え
Josu Elberdin(1976-)
エルベルディンはスペイン・バスク地方の作曲家である。音楽学校で教鞭をとりながら、オルガニストとしても活躍している。
この曲は、冒頭部分には英語、本編にはバスク語とラテン語のテキストが使われている。8分の6拍子で歌われるバスク語の旋律は一度聴いたら思わず口ずさみたくなる印象的なメロディーで、神への賛美が生き生きと表現されている。近年国際コンクールでもよく歌われている、大変人気のある作品である。
■Cantate Domino
Sing to the Lord a new song.
Sing to the Lord,
sing all the earth praise his name.
Kanta Jaunari kantu berria,
kanta Jaunari lur guztia,
egin alaitsu haren nahia.
Benedicite nomini eius.
Annuntiate diem de die salutare eius.
Cantate, exsultate et psalite in cithara,
Psallite voce psalmi.
Quia mirabilia fecit.
主に向かいて新しい歌を歌え
主に向かいて歌え
主の御名をほめたたえよ
主に向かいて新しい歌を歌え
主に向かいて歌え、全地よ
喜び主の意志を実現する
主の御名をほめたたえよ
宣べ伝えよ、日々宣べ伝えよ、主の救いを
歌い、そして喜び踊れ
琴に合わせて、詩編を歌い、誉め歌え
驚くべき御業をなさった故に
Ave Maria
Javier Fajardo(1992-)
ファハルドは、スペイン・バスク地方出身の若手作曲家である。
この曲は女声4部合唱とピアノによる作品で、副題に『A mi madre』(私の母へ)と記されている。ピアノの前奏は優しさに満ちており、心地よく揺れるような三拍子に導かれ、作曲者の母への愛情が込められた旋律がユニゾンで歌われる。温かく時に力強いハーモニーは女声合唱ならではの包容力があり、最後は繊細に静かにAmenが繰り返される。
■Ave Maria
Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum:
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui, Jesus.
Sancta Maria, Mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc et in hora mortis nostrae.
Amen.
アヴェ、マリア、恵みに満みちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。
A flower remembered (永遠の花)
John Rutter(1945-)
ラターは現代イギリスを代表する作曲家、合唱指揮者である。宗教音楽を中心に多くの合唱曲を手掛け、美しく親しみやすい旋律は世界中で愛され歌われている。
この曲は東日本大震災の被災者のために書き下ろされた作品である。ラター自身が俳句のスタイルを意識して書いた詩には、この震災で遠くに去ってしまった人たちを「美しい花」にたとえ、「私たちはいつまでも忘れないよ。」という強いメッセージが込められている。ヘルビック貴子による日本語の詩は、ラターの詩に込めた想いを大事にしながら、曲にあった歌いやすい言葉で書かれている。メロディー作りの鬼才であるラターらしい、美しく口ずさみたくなる旋律と豊かなハーモニーをお楽しみ頂きたい。
■永遠の花
思い出の花は永遠に咲き誇る
⽇の光のようにまぶしいばかりに
花⾹は漂う 静かに奏でる調べのように
優しい声は語る “あなたのそばにいつまでも”
幾千のささやきのこだまが聞こえる
時には遠くかすかに 時にはあざやかに
命の限りの響きでささやくように
“忘れないで 忘れないで 忘れないで”
⿃たちはこの⾕を⾶び去り古巣に向かう
雪で覆われ⽩く輝く峰をめざして
今や⿃たちは去り 雪は融けてしまった
でも今も⾒える あの美しさ 遠く過ぎ去った⾵景
⿃たちは遠くの⾕へと⾶び⽴ち
雪は融けて 川となり
全てが過ぎ去っても 思い出はいついつまでも
忘れない 忘れない 忘れない
■A flower remembered
A flower remembered can never wither;
Forever blooming as bright as day,
Its fragrance lingering like music softly playing,
A gentle voice thatʼs saying, “Iʼll never fade away.”
I hear the echoes of many voices;
Sometimes theyʼre distant, sometimes so clear;
Through all the sounds of life they seem to whisper,
ʻWill you remember, will you remember, will you
remember?ʼ
The birds fly homeward across my valley
Toward the mountains all white with snow;
The birds are gone now, the mountain snows have melted,
But still I see their beauty, these scenes of long ago
The birds still fly in other valleys;
The mountain snows have turned to streams;
All things must pass, but memories are lasting:
We will remember, we will remember, we will remember.
2nd Stage
Veni Creator Spiritus(来たれ、創造主なる聖霊よ)
松下 耕(1962-)
この曲は2014年に横須賀芸術劇場少年少女合唱団により委嘱初演された女声(同声)4部合唱の作品である。作曲者が最も好きな聖歌の一つであるグレゴリオ聖歌の旋律をもとにして書かれており、優しく温かいメロディーは曲が進むにつれて変容していく。冒頭の海の凪のような澄んだピアノの音色は大変美しく、全編にわたりピアノと合唱は協奏する。女声合唱ならではの響きを堪能して頂ける作品である。
■Veni Creator Spiritus,
Veni Creator Spiritus,
mentes tuorum visita,
imple superna gratia
quae tu creasti pectora.
Qui Paraclitus diceris,
donum Dei altissimi,
fons vivus, ignis, caritas
et spiritalis unctio.
Tu septiformis munere,
dexterae Dei tu digitus,
tu rite promissum Patris
sermone ditans guttura.
Accende lumen sensibus,
infunde amorem cordibus,
infirma nostri corporis
virtute firmans perpeti.
Hostem repellas longius,
pacemque dones protinus,
ductore sic te praevio
vitemus omne noxium.
Per te sciamus da Patrem,
noscamus atque Filium,
te utriusque Spiritum
credamus omni tempore.
Deo Patri sit gloria
et Filio qui a mortuis
surrexit, ac Paraclito
in saeculorum saecula.
来たれ、創造主たる聖霊よ
人間たちの心に訪れ
なんじのつくられし魂を
高き恵みをもってみたしたまえ
慈悲深き主と呼ばれし御身
至高なる神の賜物
それは生の泉・火・愛
そして霊的な聖なる油
御身は7つの贈り物により
御尊父の右手の指にいらっしゃる
御尊父より約束された尊い者なる御身
われらが肉体の弱さを
絶えざる勇気を持ち力づけ、
光をもって五官を高め
愛を心の中に注ぎたまえ
敵を遠ざけて
ただちに安らぎを与えたまえ
先導主なるあなたにならって
われらをすべての邪悪から逃れさせよ。
御身によってわれら尊父を知り、
御子をも知らせ給え。
両位より出現した聖霊なる
御身をいつの時にも信ぜさせ給え。
主なる父に栄光あれ
死よりよみがえった
聖なる子、そして聖霊に
千代に渡って栄光あれ。
二部合唱曲集『いのちの寓話』より
夢見草
信長 貴富(1971-)
信長貴富は大変人気のある現代作曲家である。上智大学を卒業後、公務員を経て作曲家として独立した。作曲は独学で、自身も合唱活動の経験があり、作品の多くは合唱曲であるが、歌曲や器楽曲も精力的に手掛けている。
詩は、バリトン歌手で合唱指揮や翻訳家など多彩な活動をしている宮本益光による書下ろしである。『いのちの寓話』は6曲からなる組曲で、この曲は最終曲である。「夢見草」とは桜の別称。儚くも散っていく桜の花びらの美しさが流麗な詩で紡がれ、E-durの艶やかで流れるようなピアノと合唱により色彩豊かに描かれた作品である。
■夢見草
詩:宮本益光
ゆるりゆるりと下りゆく
水面を染める花筏
去り際になお嫋やかに
我に手を振る夢見草
ひらりひらりと舞い落ちる
御空を飾る花嵐
散り際になお美しく
我と語らう夢見草
ちらりちらりと揺れ動く
彼方にけぶる花霞
引き際になお艶やかに
我を誘う夢見草
刻の流れに逆らわず
己が姿を省みず
いのちの寓話秘めやかに
我をとらえる夢見草
みぞれ
野田 暉行(1940-)
野田暉行は国内外で高く評価されている現代作曲家であり、東京藝術大学で新実徳英や西村朗など多くの著名な作曲家を育て、自身も数々の賞を受賞している。
この曲は、1983年の第50回NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲として作曲された。作曲者は合唱曲のほかにも、管弦楽曲、室内楽曲、能などを作曲している。
雨にも雪にもなれないみぞれの「中途半端な悲しみ」をあらわすように、曲の前半は調が安定しない。中盤では、自分は一体何者なのか、必死に探す様が激しい曲調で語られるが、終盤ではみぞれはついに雪に変わり、B durの堂々とした響きの中で曲が閉じられる。
■みぞれ
詩:伊藤民枝
重くよどんだ空から
落ちてくる みぞれ
白く透き通る冷たさは
雪にはなれず 雨にも戻れない
中途半端な 悲しみ
降っても 降っても
決して積もることのない
たどり着けない思いに
こみ上げる涙のように
降っても それでも
落ちてくる 雨雪
私はいったい何者なのだ
答える者のない闇の中で
一心に探し続け
狂わんばかりの激しさで
後から後から......
降ってくる 落ちてくる 降ってくる
落ちてくる 落ちてくる...
けれどいつしか夜があけて
みぞれは雪に変わっていた
確かにそこに積もっていた
大地と 大地と同じ広がりで
本当の白さで輝きながら
【公募ステージ】
女声合唱とピアノのための組曲『みやこわすれ』より
みやこわすれ
千原 英喜(1957-)
千原英喜は東京芸術大学作曲科卒業後、同大学院修士課程を修了。師である間宮芳生に影響を受け、日本の伝統音楽や古典を題材とした作品が多い。土俗性を浄化させ、日本の雅楽などと西洋のルネサンス音楽を結び付けた作品が特徴である。
詩は、児童文学者でもある野呂昶による。「みやこわすれ」はミヤマヨメナの園芸品種で、その名は鎌倉時代に島流しになった貴人が「この花を眺めていると都のことを忘れられる」と語ったことに由来する。過去に思いをはせるその切なさがストレートに表現された、人間味あふれる作品である。
■みやこわすれ
詩:野呂 昶
ゆうもやのむこう
うすむらさきのはなが うかんでいる
わたしは てをのばす
どんなに てをのばしても
とどかない
みやこわすれ
そのすがたの なんというすずやかさ
とおいあのひ
ただただせつなく くるしく
かぜのゆらぎにも ふるえ
ときめいていたこと
女声合唱曲集『街路灯』より
マルメロ
三善 晃(1933-2013)
三善晃は言わずと知れた日本を代表する作曲家の一人である。フランス留学から帰国し大学を卒業した頃から次々と大作を発表し、日本の音楽界に大きな影響を与え続けた。
『街路灯』は1982年に音楽之友社の「教育音楽」誌に連載という形で発表された。優しさの中に夥しい血が流れているような北岡淳子の詩に惹かれ、五曲からなる組曲を作曲、本日はその第一曲目を演奏する。「マルメロ」とは、西洋カリンとも呼ばれる果実のこと。三善晃ならではの色彩豊かで繊細な旋律は、感情の高まりと共に表情を変え力強いクライマックスをむかえる。高い技巧を必要とするピアノパートにもご注目頂きたい。
■マルメロ
詩:北岡淳子
巻貝のつぼみを
風がそっとときほぐすと
そのふちに
かすかに滲んだ血の色がある
それは
なくしてしまったふるさとを
想いつづけるこころの色だ
こどもたちの声がするたびに
あつく 胸がふるえるのだ
記憶のなかの森をおもい
さんさんとふり注ぐ陽ざしを慕い
花のまわりをとびかう
虫たちの翅音を しのんで
女声合唱とピアノのための組曲『静かな雨の夜に』より
静かな雨の夜に
松下 耕(1962-)
この作品は全五曲からなり、第1曲「夢」、第2曲「かつてもっていた」、第3曲「十八歳」、第4曲「天の断片」そして最終曲が「静かな雨の夜に」である。テキストは全て谷川俊太郎氏の若かりし頃の作品で、衒いのない詩人の素直な心情が美しく散りばめられている。第1曲から第4曲までは、自分の卑小さをシニカルに捉えた厳しい内容になっているが、最終曲だけは「そして なによりも/限りなく自分を愛しながら」に見られるように、自己肯定が初めて現れる。静かに絶え間なく降り続ける雨を表現したピアノと、静かに語るように歌われる合唱が大変美しい作品である。
■静かな雨の夜に
詩:谷川俊太郎
いつまでもこうして坐って居たい
新しい驚きと悲しみが
静かに沈んでゆくのを聞きながら
神を信じないで神のにおいに甘えながら
はるかな国の街路樹の葉を拾ったりしながら
過去と未来の幻燈を浴びながら
青い海の上の柔らかなソファを信じながら
そして なによりも
限りなく自分を愛しながら
いつまでもこうしてひっそりと坐って居たい
島唄
宮本 和史(1966-) 編曲:松下 耕
THE BOOMにより、1992年に発表された、言わずと知れた日本のポップス史を飾る大ヒット曲である。
沖縄地上戦の悲劇と、平和への希求が歌われたこの曲は、これまでにも少なからず合唱曲へ編曲されてきた。さまざまなアプローチが見受けられるが、私は、今回の編曲では、戦争の悲劇を必要以上にドラマ化し、誇張する表現はしたくなかった。
沖縄のさとうきび畑は、今日も、静かに風が吹き、何事もなかったかのようにうららかな日差しが照っていることだろう。その、日常の風景のなかで、歴史を振り返り、ハッとする瞬間がある、その程度でいいのだと思っている。言い換えれば、この曲を歌うことにより、悲劇を回顧するのではなく、私たちは日常、ずっと、私たちが行った愚行を悔い、真に豊かで幸せな未来を築いていこうと誓わなければならないはずだ。
また、この曲の原曲は、一見、男女の別れを歌ったラブソングの形をとっていることを、編曲者はリスペクトしなければならない。沖縄の人々にとって、いや、世界の人々にとって、反戦の願いと祈りは普遍であり、『沖縄戦』だけのものではないのだ。つまり、『Kyrie』や『Agnus Dei』は、その祈りも内包しているのだから、声高に沖縄戦の悲劇を(体験もしていないくせに!)徒にドラマチックに構成することは憚られる、と思ったのである。
以上のようなことを思い、沖縄に最大の思いを寄せて書いた編曲が、本日のものである。お聴きいただけることに感謝しながら、公募メンバーの皆さんとともに、心を込めて演奏したいと思う。
松下 耕
■島唄
詩:宮沢和史
でいごの花が咲き風を呼び嵐が来た
でいごが咲き乱れ風を呼び嵐が来た
くり返す悲しみは島渡る波のよう
ウージの森であなたと出会い
ウージの下で千代にさよなら
島唄よ風に乗り鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り届けておくれ私の涙
でいごの花も散りさざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せはうたかたの波の花
ウージの森で歌った友よ
ウージの下で八千代の別れ
島唄よ風に乗り鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り届けておくれ私の愛を
海よ宇宙よ神よいのちよこのまま永遠に夕凪を
島唄よ風に乗り鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り届けておくれ私の涙
島唄よ風に乗り鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り届けておくれ私の愛を