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Brilliant Harmony
​第32回定期演奏会 I hope...
Webパンフレット

​Program

1st Stage

Ave Maria

Ave Maria

Tomás Luis de Victoria(1548-1611)  (校訂:松下 耕)

 ビクトリアはスペインのパレストリーナとも呼ばれる、ルネサンス音楽最大の作曲家の一人である。1565年頃にローマへ留学し、イエズス会の会士となり、後に司祭の資格を与えられた。そして1585年頃にスペインに帰国し司祭兼音楽家として修道院に仕え、生涯を通じて教会音楽のみを作曲した敬虔な信者であった。
 この作品は最も有名な「アヴェ・マリア」の一つであり、今でも世界中で歌われている。グレゴリオ聖歌による先唱の後、露が滴るように降りてくる旋律は大変美しい。3拍子で歌われるSancta Mariaのハーモニーはモダンな響きに包まれ、罪深いという言葉で3拍子は崩れ、最後は気持ちがあふれ出るような下行形で曲は閉じていく。本日は音楽監督松下耕による女声合唱版を初演する。

Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui, Jesus.
Sancta Maria, Mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen.


おめでとう、マリア、恩寵に満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女性のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母、聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。

 

Cantate

Cantate Domino (主に向かいて歌え)

Giovanni Croce (1557-1609)

 クローチェは16世紀に活躍したイタリアの作曲家である。少年時代から聖歌隊に加わり、その後聖職を経て聖マルコ大聖堂の楽長を務めた。彼が残した多くの教会音楽は、保守的で小規模だが滑らかな旋律と純粋な和声を持っている。
 Cantate Dominoはキリストの奇跡を讃美し、主に向かって新しい歌を歌えと呼びかける曲である。生き生きとしたリズムからなる旋律と、終止進行が随所に現れる和声で神への信仰心が表現され、最後は決然と華やかに終始する。

Cantate Domino canticum novum,
Cantate Domino omnis terra,
Cantate Domino et benedicite nomini eius;
annuntiate de die in diem salutare eius.


主に向かいて新しい歌を歌え。
全地よ、主に向かいて歌え。
主に向かいて歌い、御名をたたえよ。
日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。

 

Super

Super flumina Babylonis (バビロンの流れのほとりで)

Giovanni Pierluigi da Palestrina (1525?-1594) (校訂:松下 耕)

 ローマで活躍したイタリアの作曲家であるパレストリーナは、ルネサンス期で最も重要な作曲家の一人である。教会音楽の父とも言われ、100曲以上のミサ曲と250曲以上のモテットを残している。順次進行を主体とした平穏で緻密な合唱様式はパレストリーナ様式と呼ばれ、ジョスカン・デ・プレらに代表される一時代前の技巧的な対位法をさらに洗練させた。
 この曲は、詩編137番がテキストとなっており、エルサレム陥落により捕虜として連行された「バビロンの捕囚」が描かれている。穏やかな川の流れを想わせるポリフォニーで始まり、『跪き、涙を流す』場面では、決然としたホモフォニーが現れる。パレストリーナ作品の真髄を松下耕による女声版でお楽しみ頂きたい。

Super flumina Babylonis,
Illic sedimus et flevimus;
Dum recordaremur tui, Sion:
In salicibus in medio ejus
Suspendimus organa nostra.


バビロンの流れのほとりに座り
シオンを思ってわたしたちは泣いた。
ほとりの柳の木々に
竪琴を掛けた。

 

Pueri

Pueri, concinite

Jacobus Gallus (1550-1591)

 ガルス(ハンドル)はスロベニアの作曲家である。1564年頃にオーストリアに渡り、ウィーン宮廷礼拝堂聖歌隊の一員となり、その後オロモウツ司教の宮廷楽長に就任する。
500曲もの作品を手がけ、特に宗教作品が有名だが、100曲の世俗曲も残した。ヴェネツィア楽派の合唱様式に影響を受け、厳格な構成をもち、洗練された技法、大胆な和声パターンが彼の作品の魅力である。また、合唱のソノリティについてもすぐれた感覚を持っており、この曲でも歌詞の言語的リズムと音楽的リズムの関係に対する配慮がうかがえる。曲は、こまやかな音の掛け合いで華々しく始まり、主の誕生を祝う喜びに満ちている。

Pueri, concinite,

nato regi psallite,

pia voce dicite: apparuit,

quem genuit Maria.

Sum implenta, quae praedixit Gabriel;

eia, eia, virgo Deum genuit,

quod divina voluit clementia.

 

 

子らよ、ともに歌え。

生まれし王のために。

歌え、高らかに、楽の音に合わせ。

讃えよ、敬虔なる調べもて。

大天使ガブリエルの予言に満ちたり、王がこの世に現れたもうた。

おお、乙女子マリアは神を産みたもうた。

慈悲深き天の望まれし御子を。

2nd Stage

Spes

Spes(Hope)

Mia Makaroff(1970-)

 マカロフはフィンランドの現代作曲家、編曲家であり、音楽教師、合唱指揮者としても活躍している。彼女の作品は、キングスシンガーズ、ラヤトン、アマルコルドなど多くの著名なアンサンブルグループによって演奏されている。
 この作品は、ノルウェーを代表する合唱団Cantusと指揮者のTove Ramlo-Ystadのためにかかれた作品である。テキストは、旧約聖書の一つである『伝道の書』からとられたラテン語の言葉と、ラップランド地方の言語であるサーミ語による詩から成る。
 曲の冒頭は『伝道の書』の言葉「賢者は誰なのか?」という問いから始まる。中盤にアルトによって歌われるサーミ語の詩は「私は風に属しているが、生きているのだ。それが生きる意味なのかもしれない。」と歌い、曲中ではラテン語とサーミ語が交互に歌われる。
 サーミ語の詩はスカンジナビア北部のアニミズムやシャーマニズムを表現しており、
それはカトリックと対立することもあった。マカロフは、サーミ人の思いが、聖書の文章と共鳴していると感じ、二つのテキストを一緒にしたこの作品を完成させ、次のように語っている。『人々が謙虚に理解を求めるとき、希望はいつでも存在するのです。』

立石寺

立石寺にて

丸尾 喜久子

 作曲者の丸尾喜久子氏は、室内楽曲やピアノ曲、リコーダーアンサンブル等様々な作品を手がけているが、この数年は人間の声そのものが持つエネルギーや素晴らしさに魅せられ、合唱曲やヴォイスアンサンブルの曲も数多く作曲している。
 この曲は元々混声版だった作品を、鶴岡市の羽黒高等学校合唱部のために女声版に改訂編曲して、2018年に初演された作品である。松尾芭蕉の有名な俳句「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」をテキストにして透明で柔らかな優しい『音空間』を創りたいと願い作曲された。ホールにいながら、自然豊かな山寺の四季折々の風景が感じられる演奏をお届けしたい。

閑さや
岩にしみ入る
蝉の声

Kafal

Kafal Sviri (A Kaval Plays)

Bulgarian folk song
Petar Liondev (1936-2018)

 ブルガリア民謡は一般の西洋音楽とは異なり、メロディーと並行するサブメロディー、そして持続低音で構成されたものが多く、不協和音を故意に発生させることで独特なハーモニーを生み出す。
 この曲はブルガリア国内で伝統的に歌い継がれている民謡の一つで、ブルガリアの作曲家リオンデフにより合唱版に編曲された作品である。リオンデフはブルガリア科学アカデミーの音楽学研究所に30年以上勤務し、4万曲以上の伝統的な歌や楽器のメロディーを収集した。『Kafal』とはブルガリアの民族楽器で、羊飼いが使う笛のこと。笛の音をきいた若い娘が、お母さんに笛を吹いている男性に会いに行きたいとせがむ、愛らしい曲である。

ミニワンカ

Miniwanka(The Moments of Water)

Raymond Murray Schafer (1933-2021)

 シェーファーはカナダを代表する現代作曲家である。日本では合唱作品がよく演奏されるが、オペラや器楽曲も数多く残している。もともと絵の才能があったが生まれつき視力が弱く、8歳の時に片目を義眼にする手術を受けた。画家を志したが断念し、子供のころからの合唱とピアノの経験から音楽学校に入学するが伝統的なクラシック教育に馴染めず自主退学、ヨーロッパに渡り作曲を学ぶ。その後カナダに戻って音楽家としての道を歩み始める。シェーファーが70年代に提唱した『サウンドスケープ(音風景)』は音楽用語を越えて、今では周辺環境の音風景を表す言葉として、世界中で使われている。
 Miniwankaはシェーファーの初期の作品である。図形楽譜で書かれており、テキストは冒頭と最後の英文以外、北米先住民の言葉で水や雨、川、霧、海を表す単語から成る。初めは『音符』で描かれる雨粒は徐々に形を変え、小川や滝、湖を通りやがて河口を抜けて、最後には水紋を広げながら海原へ消えていく情景が、声により神秘的に描かれている。

クーリン

Kuulin äänen (I heard a voice)

Finnish folk song
Laura Jekabsone(1985-)

 Kuulin äänenは「私はその声を聴いた」という意味のフィンランド民謡である。編曲者のラウラ・ジェカブソンは、ラトビアの作曲家、指揮者で、ボーカルグループ『Latvian Voices』の芸術監督兼歌手でもある。本日はドイツの女性ボーカルグループ『Sjaella』のために女声6部合唱に編曲された作品を日本初演でお届けする。
 愛する人への想いを切々と歌い上げる音楽は中盤に一変し、力強い7/8拍子で情熱的に愛を叫ぶ。ソリストと合唱の掛け合いが大変魅力的で、フィンランド民謡の特徴であるダウンビートのリズムがバウロンと手拍子により華やかに奏でられる。

Ngana

Ngana (Shark)

Stephen Leek (1959-)

 リークはオーストラリアの自然や風土を表現した作品を数多く作曲し、オーストラリアの合唱曲と演奏の発展に多大な影響を与え、大きく貢献している現代作曲家である。
 タイトルの“Ngana”はオーストラリアの先住民族の言葉で『サメ』を意味し、曲中には『水』を表す“Lina”や『魚』を意味する“Mangana”という言葉が何度も表れ、海の恵みが祝福されている。クラベスの音色が鳴り響き、合唱はユニゾンから徐々に2声、3声、4声に分かれていく。オーストラリア北東部の島々の海の風景が、躍動感溢れるリズムと鮮やかな色彩で描かれている作品である。本日はダンサーのYASUKOさんによる振り付きでお楽しみください。

3rd

3rd Stage

女声合唱とピアノのための『あどけない帰郷』

作詩:山崎 佳代子
作曲:松下 耕(1962-)

 この組曲は、2014年に桜楓合唱団により委嘱初演された作品である。詩人で翻訳家の山崎佳代子氏(1956年〜)は静岡市出身でユーゴスラビア文学に興味を抱き、1981年にベオグラードに移り住んだ。現地で結婚し、現在はベオグラード大学で日本文学を教えている。紛争が繰り返される地で、悲劇の渦中から背を向けることなく、愛と平和を訴える山崎氏の詩は、作曲者の心を揺さぶり続け、これまで多くの作品を残している。
 この組曲の詩は、山崎氏が帰郷、つまり故郷である日本へ帰国した時に見た風景や、感じた心象がテーマとして据えられ、語られている。ここで語られている、世の中の動向に対する『違和感』が作曲者とシンクロし、この作品が生み出された。
 戦争に対する嫌悪、平和への希求。この二者一体のテーマは、夥しい数の詩人と作曲家により、合唱曲として世に出されてきたが、この組曲は、声高に悲惨な場面を再現しようとはしていない。むしろ、全く逆の表現でー静かに、、。優しく、問いかけるように歌われる。

 

 参考:桜楓合唱団第45回定期演奏会パンフレット

1.厳冬を軍艦は出てゆき

 イラク戦争初期の2003年に自衛隊がイラクへ派遣された。その年に詩人が帰国した際、これは私の故郷だろうか?という違和感を抱いたという。それはこの曲が書かれた2014年に作曲者が抱いた危機感とシンクロした。冒頭のピアノに表れるモチーフは、徐々に崩れ歪んでいく。終盤の空虚な和音により寂寥感が広がり、曲は消え入るように閉じる。

2.三月の岸に棄てられたものに

 詩人の家に近いドナウ川の支流の実景が描かれている作品である。ここには人間と自然との関係が描かれている。ねじ曲がった世界を表現する不安定なピアノはやがて錯乱する。寒々とした風景に朽ちた船が横たわり、その中で牧歌のような歌声が新たな命の息吹を感じさせる。しかし、現実は重く突き付けられ、再び不安な音色に包まれていく。

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3.戒厳令、ちぎられた風景

 この作品はコソボで実際に行われたエスニッククレンジング(民族浄化)を描いている。まるで何かに追われているような、緊迫したピアノの音色の中で歌われる詩はあまりにも衝撃的である。ここで登場する女性は平和の象徴として描かれている。
 そして今、ウクライナで『戒厳令』が発令されている。一日も早く平和な日々が戻ることを願って止まない。

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4.あどけない帰郷

 この詩も1曲目と同様に、詩人が帰国した際に感じたことが記されている。繰り返し現れるわらべ歌のような象徴的な旋律は、穢れなき乙女が口ずさむ牧歌である。その歌をピアノがかき消し、「だれも止める者はいない」と声高に叫ぶが、再び牧歌とともに穏やかな語りに変わっていく。そして平和を希求する祈りの和音とともに、曲は静かに終結する。

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